2012年06月16日

世紀のワイドショー!ザ・今夜はヒストリー」〜日本の歴史・悪役10人〜2012/6/13放送

世紀の裏切り者から大謀略家、血の下剋上男まで日本の歴史上に残る悪役10人を一気に紹介する企画です。

@蘇我入鹿(飛鳥時代、610?〜645年)
「元祖血まみれフィクサー」。
独裁者の如く権力を握り、飛鳥の都を牛耳った大豪族。自らの豪邸を飛鳥の丘の上に建て、時の帝を見下ろして暮らすという傲慢さ。
古代日本のスーパースター・聖徳太子の息子で、人望も厚く次期天皇との呼び声も高かった山背大兄王を標的にし、自分の権力拡大のため別の皇子を擁立しようとしていた入鹿は、山背大兄王を襲撃し一族もろとも自害に追い込んだ。ここで聖徳太子の血脈も途絶えてしまった。父である蘇我蝦夷ですら呆れたこの蛮行に飛鳥の民すべてが怖れおののいた。しかし、この横暴ぶりが反感を買い、中大兄皇子・中臣鎌足に宮中で暗殺され、「大化の改新」へと繋がった。

A道鏡(奈良時代、700?〜772年)
「権力に溺れた肉欲坊主」。
欲とは無縁の僧侶という立場にありながら、女性の孝謙上皇(のちの称徳天皇)を誑しこんで権力を握り、瞬く間に出世した男。当時権勢を誇ったライバル貴族・藤原仲麻呂と戦うと、幼子を含めて家族丸ごと斬首した。
もともと民間の僧であるにも拘らず、自ら天皇の座に就こうと画策したという前代未聞の所業。まさに欲望丸出し坊主。
「道鏡が天皇になるべきだ」という神官からのお告げがあったと主張したが、帝が宇佐神宮に確認の使いを出したところ、「皇族以外は帝に就いてはいけない」という真逆のご神託を受け、最後は流罪になった。

B源頼朝(鎌倉時代、1147〜1199年)・北条政子夫婦
「いい国のため弟も殺す冷血大将軍」。
弟・源義経の活躍のおかげで平家滅亡を成し遂げ、鎌倉幕府を開くことができた。にも拘わらず、その弟に謀反の疑いをかけ追い詰めた非道な兄。義経の涙の助命嘆願にも耳を貸すことは無く、頼朝の圧力に屈した奥州・藤原氏によって義経妻子が自害に追い込まれた。更に、義経の愛人で子供を身籠った静御前を捕まえ、産まれた息子まで惨殺した。肉親をも顧みない非常な男。結局は、義経の首を差し出した奥州・藤原氏も滅ぼした。
そして、妻・北条政子は、頼朝に側室を設けることを許さず、浮気相手の家を打ち壊した。頼朝の死後は出家し、夫が建てた鎌倉幕府を守る為、すさまじい執念を燃やす。不仲になれば実の父親すら追放、そして2人の我が子を幽閉・暗殺した黒幕とも噂され、「鬼の尼将軍」と呼ばれることになる。

C日野富子(室町時代、1440〜1496年)
「京都を焼いた銭ゲバ女」。
室町幕府八代将軍・足利義政の妻。じかし、長い間子宝に恵まれず、夫の弟が後継者になっていた。ところが、富子に男の子が生まれ、我が子を将軍にしようと執念を燃やす。この時期将軍を巡る夫婦喧嘩が引き起こしたのが、日本史上空前の内乱・応仁の乱。11年に及ぶこの戦で京都の町は焼け野原に。しかも、自らが戦乱のきっかけになったにも拘わらず、それを憂いるどころか敵味方問わず諸大名に高利で金を貸し、荒稼ぎ。その額、平成の世で70億円という恐るべき金の亡者。

D斎藤道三(戦国時代、1494〜1556年)
「恩人殺しの毒マムシ」。
娘・濃姫が信長に嫁いだので、信長の義父。道三の父は、僧侶から油売りとなり話術や武芸が見込まれて武士として取り立てられた人物。
自分たち親子を取りたててくれた恩人・長井長弘を夫婦2人とも殺害し、長井家を乗っ取った。更に、自らの主君で美濃の守護大名である土岐氏の兄弟対決をあおりたて、兄を国外追放に成功した後、弟も国外追放し、受けた恩を仇で返す事の繰り返し。遂には美濃を治める大名にまで上り詰めた、ミスター下剋上。息子・義龍に謀反を起こされ殺される。

E松永久秀(戦国時代、1510〜1577年)
「信長もあきれた三大悪の男」。
元々、京を支配していた三好家の家臣だった久秀。主君の息子を毒殺して成り上がり、京の支配を狙って室町幕府13代将軍・足利義輝を殺害し、三好三人衆との戦いで奈良東大寺の大仏に火を放って焼いた。更に、信長から差し出せば命を助けると言われた天下に名だたる名茶器「平蜘蛛の茶釜」と一緒に爆死した。茶器を集めるのがステータスとされ、国よりも茶器の方が価値の高かった時代において、この名茶器を失った事に、信長は酷く悔しがったという。
ちなみに、悪役としても有名だが、茶の湯などに精通した文化人・教養人であり、築城の名手として知られた武将でもある。

F明智光秀(戦国時代、1528〜1582年)
「日本史上最大の裏切り者」。
突如、信長に謀反を起こし、京都・本能寺で信長を自害に追いやった。天下人最有力に躍り出るも束の間、中国大返し(中国地方で毛利輝元と戦っていた秀吉は、信長への謀反の話を聞いて、仇を討つ為すぐに京へ戻った)で京都へ戻った秀吉に「山崎の戦い」で敗れ、野望は潰える。敗走途中、落武者狩りの農民に襲われ、あっけない最期を遂げた三日天下の男。
この本能寺の変が無ければ、この後日本は世界戦争に突入しただろうという見解。信長は朝鮮半島を経て大陸を取るつもりでいた事などからの予想であるが、この光秀による謀反で日本の歴史が大きく変わったと言っても過言ではないだろう。

G吉良上野介(江戸時代、1641〜1702年)
「江戸最大の憎まれ役」。
主君・浅野内匠頭の仇を討つべく赤穂浪士47士が討ち入りを果たす、「忠臣蔵」の敵役。浅野内匠頭が江戸城内での刃傷に及んだ真相はいまだに謎。しかし、江戸市中でもっぱら噂されるのは、幕府の礼法指南役を務める吉良が浅野にワイロを要求。浅野が渡した物が鰹節2本と気持ちばかりのお礼だったのをきっかけに、吉良が嫌がらせのオンパレードを始めたというもの。間違った料理を教え、異なる作法を教え、「この田舎侍が!」と浅野を罵って恥をかかせたという。47士が討ち入り帰りに早くも江戸庶民から英雄扱いされた一方で、吉良には「世紀の悪役」というレッテルが貼られ続けることになった。

H徳川綱吉(江戸時代、1646〜1709年)
「お犬様LOVEの暴走将軍」。
江戸幕府5代将軍・綱吉は、動物愛護の「生類憐みの令」を制定。内容はみるみるエスカレートし、130回以上に渡る細かな指示を出した。例え野犬に襲われても、抵抗したら人間が処罰されるという行きすぎた内容になっていった。更に、江戸郊外の中野に29万坪の犬小屋を建て、10万匹もの犬を収容、莫大な経費を江戸市民に負担させた。そして、犬だけでなく、猫や馬・鳥・魚、果ては蚊に至るまで、少しの違反で死罪や流罪を言い渡される者が続出し、江戸の町は大混乱。綱吉は、動物の命を大切にするあまり人間の命を軽く扱う結果になってしまった、まさに暴走将軍であった。ちなみに、綱吉の死後10日で「生類憐みの令」は廃止された。

I井伊直弼(江戸時代、1815〜1860年)
「問答無用の弾圧政治家」。
ペリーの黒船来航以来、国内情勢は不安定化。幕府トップの大老であった直弼は、朝廷の許可なく独断で開国を断行した。若手学者たちのヒーロー・吉田松陰を筆頭に、自分の方針に反発した者達を徹底的に粛清し、次々と処罰。その数100人以上、「安政の大獄」と呼ばれる恐怖の弾圧政治を行った。しかし、江戸城に向かう途中、桜田門前で何者かに襲撃され(桜田門外の変)、誹謗の最後を遂げた。この暗殺を機に時代は、倒幕・明治維新へと突き進む。
開国に賛成だったのかは疑問が残り、国の事を考えて個人の意見とは逆方向に舵を執ったという所に無念さを感じるという見解だった。


そして、番外編「惜しくも悪役10人へのノミネートを逃した人物たち」の紹介です。

・藤原薬子(平安時代、?〜810年)
「愛欲の平安クレオパトラ」。桓武天皇の皇太子に自分の娘を嫁がせたにも拘わらず、その皇太子を自ら誑かして不倫関係に。愛欲を利用して政治に介入し、権力を意のままに操った。この横暴が時の天皇の怒りを招き、遂には朝廷が2つに割れて争う前代未聞の異常事態を引き起こした。

・藤原時平(平安時代、871〜909年)
「道真を左遷した男」。自分のライバルであった平安の大天才・右大臣・藤原道真に根も葉もない言いがかりで無実の罪を着せた非道な策略家。一族郎党を都から追い出し、更に道真を遠く大宰府への左遷に陥れた。が、恨みに燃えた道真の怨霊に祟られて命を落とした。

・平時忠(平安時代、1127〜1189年)
「元祖KYコメンテーター」。平清盛の義理の弟で、清盛の地位と共に昇進し平家の栄華が極まると「平家にあらずんば人にあらず」という後世にも残る超ド級のKY発言で大顰蹙。しかし、時代は変わり源平最終決戦「壇ノ浦の戦い」で捕まると、自分の娘を源氏の義経に娶らせ保身を図った。

・義姫(戦国時代、1548〜1623年)
「政宗を毒殺しようとした鬼母」。東北のスーパーヒーロー・伊達政宗の実母にも拘らず、政宗の弟・小次郎ばかりを寵愛し続け、小次郎に家督を継がせようと策略。招いた政宗の食事に毒を混入させ毒殺を図った。

・淀殿(戦国時代、1569〜1615年)
「破滅型激情クイーン」。織田信長の妹・お市を母に持つ浅井三姉妹の長女。秀吉の側室という身分にも拘らず、大阪城の実質的支配者として君臨。その高すぎるプライドと自己顕示欲から、天下をほぼ手中に収めた徳川家康との和睦を断固拒否。戦国最大の戦い「大坂の陣」を引き起こし、遂には自ら豊臣家を滅亡へと導いた。

・小早川秀秋(戦国時代、1582〜1602年)
「戦慄の裏切りティーンエイジャー」。元々は秀吉の養子であったにも拘らず、関ヶ原の戦いの裏で両軍と通じ、合戦後の褒美を天秤にかけていた19歳。西軍に身を置くがどっちつかずの態度を取り続け、業を煮やした家康軍に鉄砲で威嚇されると、世紀の寝返りを見せ東軍の勝利を決定づけた。以来、裏切りの代名詞となっている。

・田沼意次(江戸時代、1749〜1784年)
「ミスター袖の下」。江戸後期に実権を握った老中。幕府の財政再建の為、それまでの倹約路線を改め、新貨幣の鋳造や貿易の奨励など積極的な経済政策を執って商人を優遇。一方で多額のワイロを受け取ったとも言われ、後世、ワイロ政治の代名詞的存在となった。


本当にいろんなタイプの悪役がいましたね。
日本の歴史上最大の悪役は誰なのか!?
結果、意見はきれいに分かれ、キングは決まりませんでした。

悪役にしても、どの視点で悪役と見るかによって、誰が一番悪いかも変わってきますね。
悪い部分だけを一気に紹介するという企画だったのですが、コンパクトにどんな人なのかが分かって面白かったです。
どの時代にもいるのでしょう。
ドラマにも欠かせない存在ですからね。

一人の人物を細かく紹介して分析するのも面白いですが、こういった視点で歴史を見るのも楽しかったです。
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